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「インド万華鏡」の旅へ

インドの風景、遺跡、人々、神々、ヨーガ、伝統武術

マヒンドラ・オートよ永遠に! / ウジャイン3

ヒンドゥ聖地としてのイメージの強いウジャインだが、私にとってウジェインとは、ズバリ、マヒンドラの乗り合いオートに他ならない。 

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見よ、このレトロなマッドマックス的風格を! 

一般にテンプーと呼ばれるこの公共の乗り合いミニバスは、大きく前に伸びた前輪駆動のフロントノーズから、あたかもイージーライダーのように車輪が突き出し、内部構造もまるで耕耘機のようにシンプルだ。 

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そのノーズカバーを開けただけで、シンプルなエンジン構造の全てがあらわになる

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図体の割には華奢かつシンプルな操作系

独特なピストン式レバーを前後し、ギアチェンジをするドライバーのその手さばきがまた渋すぎる。 

 

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前輪の脇にマフラーが見える。車窓にはやはりターバンがお似合いだ

エンジン音はどこまでも単調。その特徴的な腹に響くドッドッドッドッドというリズミカルな低音を轟かせ、黒煙をモクモクとなびかせて今日もガタガタと疾走する。

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木造家屋も残る古い町並みを背にひた走る 

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道っぱたは即席の修理工場でもあり、車庫でもある

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どこか、動物の顔を思わせるフロント・フェイスだ。しかし、各車年季が入っている!

聞くところによると、かつてはインドの北半分全域で見られたこのオートも、現在ではデリー周辺とこのウジェインを除いて絶滅してしまったという。 

近隣のインドールでは、2010年2月には健在だったが、同じ2010年の12月には見事に消滅し、全てスズキマルチの箱バンへと入れ替えられていた。 

いずれインドの大地からこの姿がすべて消え去ってしまう日もそう遠くはないだろう(それはひょっとして2016年現在、すでに起こっているかもしれない!) 

だが、私にとってのウジェインとは、永遠に疾走するマヒンドラ・オートなのだ。

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花売り女と牛とマヒンドラ。スズキ・マルチなんてこの街には似合わない 

この乗り合いオート・テンプーというミニバス、番号の振られた市内循環ルートと、郊外に向かうルートの二種類あるので、ウジェインにお立ち寄りの際は、是非利用してみて欲しい。

そしてもし、現在でもこのマヒンドラが生き残って健在であるならば、願わくば写真と共にご一報いただければ嬉しい。

ウジェイン2:マヒンドラよ永遠に!Yahoo!ブログを加筆修正の上、移転したものです) 

 

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チャトリ墓廟が意味するものと仏教ストゥーパ / ウジャイン 2

前回のウジェイン1記事の中で、ハルシッディ寺院のドーム天井について紹介した。

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ハルシッディ寺院のドーム天井に描かれたシュリ・シャクティ・ヤントラ(マンダラ)。アングルの関係で分かりにくいが、ヤントラの中心が天上ドームの中心になる

ハルシッディ寺院もそうだが、ウジェインを含めて、西インド全域で特徴的に見られる建築様式にドーム構造屋根がある。

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メインとなるラム・ガートのすぐ背後には、印象的なチャトリの一群がある

それは大きく、ヒンドゥ教やジャイナ教の寺院建築と、チャトリ、すなわちマハラジャなど高位の実在の人物をその死後に記念した墓廟建築に分ける事ができる。

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ウジャイン市内のシヴァ寺院。御本尊を納めた神室の上部には高い尖塔が聳え、その手前にドーム屋根のマンダパ・ホールがあるという基本的な構造はハルシッディ寺院と同じ

ハルシッディ寺院や上のシヴァ寺院の場合は、御本尊が安置される神室の上部が高い尖塔型屋根の本殿で、手前にある礼拝室マンダパがドーム状の天井・屋根になっている。そして注意深く見ればドーム頂上にはチャトリのそれと同じ小尖塔構造が確認できるだろう。

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マンダパ・ホール内部から神室を望む。ドーム天井の円輪デザインは下のチャトリのそれと重なる

チャトリの場合余計な神室・本殿がないので、外観内部共にキッチン用品のボウルを伏せたような構造になっている事が手に取るように分かる。

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ウジェイン市内、メイン・ガートの背後に立つチャトリ墓廟。一見するとイスラム建築様式に見えるが・・

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その内部天井の円輪デザインは、上述ハルシッディ寺院やシヴァ寺院などのドーム天井と重なり合う

ヒンドゥ教徒の場合、遺体は荼毘に付して川に流すので一般的な墓は持たず、このチャトリはあくまでも遺体の埋葬を伴わない記念廟になる。

ここには4基のチャトリがあるが、中でも最大のチャトリの内部中心には、興味深い事にシヴァ・リンガが祀られている。

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内部天井と同じく同心円状にデザインされた基壇上、その中心に据えられたシヴァ・リンガ(チャットルムカ・リンガ)

他のチャトリでは、そのドーム屋根に覆われた円形のフロア中心には、記念されているマハラジャやその伴侶と思われる座像や立像が安置されている。

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二番目に大きなチャトリの中心には、マハラジャと思しき座像が置かれている

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別のチャトリに安置された立像。頭部の形状(髪型)や表情から見て女性だろう

ここで面白いのは、何故死んだ人間とシヴァ神が、同じ様式で祀られ得るのか、と言う点にある。その根底にあるのは、インド人が持つ独特な死生観だ。

インドでは輪廻転生の世界観が深く信仰されている。そして古代において、一般的な在家の人々にとって最も望ましき死後の帰趨は、神々の住まう天界への再生であると考えられていた。

やがてそこにブッダやマハヴィーラなど輪廻からの解脱を志向する求道者たちの思想が加わって、本来天界の住人であったはずの神々の中で、シヴァやヴィシュヌやブラフマンなどの至高神たちが、その背後にある‟絶対者ブラフマン”と共に『解脱界(解脱の境地)』を象徴体現する様になっていった。

ここに同じチャトリ基壇の中心に、シヴァ神と死者が同じように祀られ得る論理的整合性がある。つまりチャトリにおいて祀られた死者は、神々が住まう天界への再生、あるいは仮想の『解脱界』への帰趨が強く願望されている、という事なのだ。

そう考えるとチャトリと言う構造建築が全体として何を表象しているのかが分かってくる。それは有りうべき天上界、そしてそれを遥かに超えた高みにある『解脱界』の具象化に他ならない。

そもそもこの墓廟を意味する『チャトリ』、本来は貴人を象徴する日傘や傘蓋を意味し、そこから更に『天蓋』というイメージをも派生していく言葉で、後述する『チャトラ』と重なり合うものだ。

この『天蓋』という概念の中にこそ、天のドームの最上部に位置する天界や『解脱界』のイメージが内包されていると私は考えている。

つまり、チャトリ基壇の中央に祀られたシヴァ・リンガムは天蓋ドームの頂点である天界(解脱界)から地上への神の降臨を表しており、同じように基壇中央に置かれた死者の像は、地上から天界への死後の上昇再生(あるいはそれをも超えた解脱)という願望を象徴している。

そのドーム屋根が特徴的な線条を持った玉ねぎデザインである為、一般にこのチャトリはイスラムのドーム建築の影響を強く受けたものだと考えられがちだが、実態としてはその頂から放射状に刻まれた線条は傘の骨(車輪で言うスポーク)を表しており、その内実は極めて土着インド的である事が分かるだろう。

そして、あまり知られていない事実だが、このような輪廻転生思想や天の傘蓋と言う概念の背後には、インド固有の『輪軸世界観』や『須弥山思想』と言うものが横たわっている。

この『輪軸世界観』や『須弥山思想』を前提に更に考察を推し進めると、ヒンドゥ・チャトリは起源的に見て、仏教ストゥーパ建築と深い関わりがあるのではないかと思われるのだ。

ストゥーパとは仏教の開祖ゴータマ・ブッダの死後、その火葬した遺灰(舎利)を分骨してインド各地に祀ったという、その墓廟に起源するもので、元々はさほど大きくはない土饅頭の塚の様な物だったと考えられている。

それが時代を経るに連れて巨大化し、サンチーに見られるようなレンガを積み重ねた巨大な伏せ鉢型の構造建築へと進化したという。

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半球状のドームが美しいサンチー第三ストゥーパ

その後長い時を経て、ヒンドゥ教の台頭とムスリムの侵略などによりインドから仏教が滅び去った時に、このストゥーパ建築文化も共に滅び去ったというのが一般的な認識なのだが、私はこのウジェインのチャトリを目の当たりに見て、全く新しい可能性について眼を開かされたのだった。

それが、このチャトリというヒンドゥ教の墓廟は仏教ストゥーパの正統の後継建築ではないか、と言う仮説なのだ。

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サンチー第一ストゥーパの中心頂上に建てられた傘、すなわち『チャトラ』のアップ

これはサンチー・ストゥーパの頂上中心に聳えるチャトラがチャトリの類語であり、更にストゥーパのドーム状の造形や共に墓廟であると言う事実から単純に直観された仮説なのだが、その奥行きは深い。この話は相当に長くなるのでまた稿を改めて書きたいと思う。 

 

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ラジサマンド湖畔の知られざるパビリオン彫刻

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第一パビリオン。湖面に反射する日の光に下から照らされて彫刻の陰影が美しく揺れている

ラジサマンド湖(Rajsamand Lake)はラジャスタン州に多くある人造湖のひとつで、レイクパレスで有名なウダイプル市から北に六十数キロ離れたカンクローリ(Kankroli)の町はずれに位置している。 

ラジサマンド湖は1660年代にウダイプルのメワール王マハラーナー・ラージ・シン(Maharana Raj Singh)によって造られたダム湖で、その南端の湖岸に美しい大理石のガートがあることで知られている。

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ラジサマンド湖南岸に作られた大理石のガート

最奥部にパレスがあり、水際にはパビリオンとトラナが建てられている

ちなみにこのマハラーナーというのは西インドのラージプート族が主に使う称号で、ラーナーとは軍事的な王、日本語で言えば武王、もしくは将軍に近いニュアンスの言葉になる。それにマハがついているので『大武王・大将軍』的な意味合いだろうか。尚武の気風を尊ぶラージプートらしい呼称だ。

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ラージ・シング - Wikipediaより

直刀両刃の長剣とカタールダガー)という短剣を携えている

その大武王ラージ・シンによって造られたからラージの湖(サムードラ)、でラジサマンドと言う訳だ。

湖の南岸に設けられた大理石のガートは、王族がヒンドゥーの祭式を執り行うための特別なセッティングだというが、その水際には同じように大理石で作られた美しいトラナ(門塔)とパビリオンが立っている。

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手前が第三トラナ、奥に少し見にくいが第二トラナ、背後にパレス、第一パビリオン、その隣奥が給水塔

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少し場所を変えて、第一パビリオンと第二トラナ

f:id:Parashraama:20160823173705j:plain三角屋根が特徴的な第三トラナと第二パビリオン

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最もパレスに近い第一パビリオン。その内面は精緻な彫刻で埋め尽くされている

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第一パビリオンと大理石のプラットホーム。時間が止まっているようだ

このトラナとパビリオンは王妃チャルマティ(Maharani Charumati)の特別な肝いりで建てられたと言われ、特に三基あるパビリオンの内部に施された装飾彫刻は、女性的で繊細な感性をうかがわせる精緻を極めたものだ。

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レースの様に繊細な天井彫刻。女性らしく鳥や花のモチーフが多い

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中央はブラフマー神か、あるいはトリムルティ

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首の欠損が多いが、当時の風俗を活写している

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第二トラナ。湖面の青とのコントラストが美しい

実はこのガート遺跡は、内容は世界遺産級であるにもかかわらず何故か放置されていて、そのハイライトと言うべき彫刻群もかなり土埃を被ってしまっていた(2011年時点:ひょっとすると毎年雨期の増水のたびに水没して、泥にまみれてしまうのかも知れないが・・)。

掲載写真は中でも汚れの目立たない美しいものを選んでいるが、インド政府当局には是非改善して頂きたいと願っている。

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正面から見た第三トラナ。ヒンドゥ教で言う天国への門(スワルガ・ドワラ)のイメージだろうか。雑草が生えてしまっているのが、また廃墟的な寂寥感をかき立てる

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正面から見た第二パビリオン。列柱のたたずまいが素晴らしい

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精緻を極めた彫刻。中心の七頭立てラタ戦車に乗るのは太陽神スリヤだろう

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一枚の方形パネルの大きさは1m×1m程か。余りに細かすぎて何が彫ってあるのかよく分からない

f:id:Parashraama:20160824005223j:plainよく見ると中央辺り、まだ作業途中で完成していない。さすがインド人!

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神話の世界に迷い込んだようだ

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湖面に映る第二パビリオン。洗濯する女性が小さく写っている

インドで川や湖の水際に見られるガートは、乾季と雨季の水量の違いを前提にして階段状に造られている。私がここを訪ねたのは1月の乾季だったので水面はかなり低い。

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第四トラナ越しに第二パビリオンを見る

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実はこのガートのどこかに、ゾウが交尾している「ミトゥナ象」が彫られたパネルがある。これは確かカジュラホにも見られるもので、カーマ(性愛)を尊ぶ上流インド人士の洒落っ気とでも言おうか

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パレスから一番遠くにある第三パビリオン。彼方に小さく給水塔が見える

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岩山からガートを見下ろすと全体像がよく分かる。白く乾いたガートと膨大な水の広がりの対比

第三パビリオンを過ぎてさらに進むと、小高い岩山に登ることができる。そこから見下ろすガートと湖は絶景の一語で、ガートから突き出したプラットフォームにパビリオンが建てられている、その全体像がよく見渡せる。

上の写真の最奥部山際にはパレスが見えるが、その背後の山頂にはやはり遺跡のように古びた別荘ハヴェリが建っている。そちら側に登って見下ろした写真が下になる。

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山頂ハヴェリはまだ人が住めそうな体裁をなんとか保っている。白い漆喰壁が陽に眩しい

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イスラム風の玉ねぎ屋根はこの辺りのスタイル

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中段にあるのは新しいモスク。その右上の湖畔に第三パビリオンとガートがかろうじて見える

この山頂パレスから見る湖や360度のパノラマは絶景で、是非登ってみることをお勧めしたい(現在では立ち入り禁止になっている可能性もあり)。

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かつては美しい姫がこのベランダに佇んでいたのだろうか

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湖の周りは緑に覆われているが、少し離れた山肌は乾燥し切っている

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他にも遺跡っぽいハヴェリか寺院らしき建物が点在する

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途中、モスクの敷地へ通じるゲートの背後にも、やはり遺跡っぽい門塔が建っている

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山頂パレスの手前で出会ったポップなガネーシャ神とハヌマーン

ラジサマンド湖のあるカンクローリには、他にもクリシュナ神を祀るドワルカディシュ寺院(Dwarkadhish Temple)などの見所がある。ヒンドゥ教徒以外には余り面白味はないかも知れないが、ラジャスタン特有のハヴェリ(Haveli)建築が見られるので時間があれば訪ねてみるのもいいだろう。

ラジサマンド湖に行く場合、カンクローリはほとんど観光開発されていないので、宿泊はウダイプルにして日帰りツアーがお勧めだ。

ウダイプルのバスターミナルからローカルバスで1時間半ほど。カンクローリのバスターミナルで下車して、オート・リクシャで『ナウ・チョウキ・パーク(Nau Chowki Park:ナヴ・チョキ・パルク)』と言えば10分ほどでラジサマンド湖畔に到着する。手前にある児童公園の様な敷地を通り抜けた奥がガートだ。

また次回以降に改めて投稿したいが、ウダイプルからカンクローリへ来る途中には、この辺りでは一番有名なクリシュナ寺院があるナットドワラという町や、その少し手前にはやはり大きなトラナで知られるエクリングジ(Eklingji)という村がある。

ウダイプルの周辺には外国人観光客にはあまり知られていない穴場が多いので、これから本ブログで少しずつ紹介していきたい。

 

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クンブメーラの聖地・ウジェイン 1

ウッジェイン(Ujjain)の名前は既にマハバーラタの時代から知られ、ブッダが生きていた紀元前5世紀頃には16大国のひとつ、アヴァンティ王国の首都ウジェイニとして記録に残っている。

f:id:Parashraama:20160818152821j:plain町の中心にあるバザールの賑わい。背後にはクリシュナ(ゴパール)寺院が建つ

マウリヤ帝国の第三代・アショカ大王は若き日に太守としてこのウジェインに赴任し、その旅の途上ヴィディシャで、美しい商人の娘と出会って結婚した。

二人の間に生まれたマヒンダは長じて敬虔な仏教僧侶となり、父アショカの意を受けスリランカへと仏教を伝えたと言う。

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ヴィディシャ近郊のサンチーの丘は仏教聖地として発展し、多くのストゥーパが建てられた

アショカ王の時代には仏教が盛んだったウジェインもその後のグプタ朝期にはヒンドゥ化が進み、今では仏教の気配はほとんど失い、12年に一度クンブメーラの大祭が開かれる、インド有数のヒンドゥ聖地として賑わっている。

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シプラ川沿いに続く広大なガート。ここがクンブメーラの会場となる。 

2016クンブメーラの時のガートの様子

市内には12ジョティリンガのひとつマハカレシュワル寺院や西インド土着の母神であるハルシッディ女神を祀る寺院など沢山のヒンドゥ寺院が立ち並び、年間を通じてインド中から善男善女が巡礼に訪れる。

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こじんまりとしたハルシッディ寺院の外観

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ハルシッディ女神の御神体

ハルシッディ女神は西インドを中心に広く信仰されているアンバージー女神の分身とも言われ、土着の地母神信仰の流れをくむ女神だ。

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信者が集うマンダパ・ホールの天井にはシュリ・チャクラが描かれる

この寺の礼拝ホールのドーム天井一面には巨大なシュリ・チャクラが描かれ、ここが女神の性力・シャクティを祀るデヴィ・シャクティ信仰のメッカである事を示している。

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聖なる乗り物であるネズミの上に鎮座するガネーシャ

蓮華座の上に座るのは仏像と同じだ。

シプラ川両岸のガート沿いをはじめ、ウジェイン市内は大小の寺院・祠堂があふれる一大宗教都市となっている。

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シヴァ神の御神体シヴァ・リンガムに礼拝する信者

リンガはこの地域に多い自然石製で、ヨーニは真鍮板で荘厳されている

その中心になっているのが、シヴァとその神姫であるシャクティ女神と、クリシュナ・ヴィシュヌ神である、と言って良いだろう。

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黒い肌のクリシュナ神。ある意味現代インドにおいて最も人気の高い最高神格

このシヴァ神と神姫シャクティ(様々な異名を持つ)、そしてクリシュナ・ヴィシュヌという三神は、おおよそ現代インドにおける最も勢力の有る三神であると言っても過言ではない。

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対岸からメインガートを遠望する

そういう訳で、ウジェイン市内でメジャーな寺院を一回りしガート周辺を巡って様々な祠堂を訪ねれば、おおよそインドにおけるヒンドゥ教の有りようと言うものが一通り理解できるだろう。


Ujjain - The City of Temples & Indore - Commercial Capital of Madhya Pradesh

ウジェインと近郊の中心都市インドールを紹介するオフィシャル・ビデオ

マンドゥ、オンカレシュワル、マヘシュワールにこのウジェインを加えたエリアはインドール・サーキットと呼ばれ、古き良きインドらしさを凝縮した地域になっている。有名観光地とは一味違うインドを是非体験して欲しい、お勧めのエリアだ。

 

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ケララの伝統武術:カラリパヤット(Kalaripayattu)

カラリパヤットケララに古くから伝わる伝統武術だ。

日本では古くは80年代アリナミンのテレビCMで「いやはや、鳥人だ!」というキャッチコピーが話題になった3mのハイジャンプ・キックを行ったのがカラリパヤットの達人であった。

Kalariと云う言葉はSanskritで練兵場を意味するKalurikaに由来し、Kalaripayattuとは練兵場で行われるトレーニングを意味する。

単に武術と云うだけでなく、伝統舞踊のカタカリやアーユルヴェーダ療術などにも大きな影響を与え、ケララを代表するコア・カルチャーとも言えるだろう。 

少なくとも12世紀には現在の形で存在していたとされ、16世紀に最盛期を迎えた。その源流は大きく二つに分けることができる。

ひとつは紀元前3世紀から後7世紀にわたる、いわゆるサンガム時代に発展したタミル武術の血を引くケララ土着の武術。もうひとつは外来勢力に圧迫されて西インドからケララに南下して来たバラモン移住者がもたらしたヴェーダ系のアーリア武術(その性格上ヒンドゥ教色が強い)。

カラリパヤットはこの二つが見事に融合したところに生まれたハイブリッド武術であり、しかもインドでも、もっとも古い形を今に伝える伝統武術である、という事ができる。 

カラリパヤットの大きな特徴のひとつが、マルマンという急所(ツボ)の概念を持ち、それが攻撃技にも体系的な療術システムにも活用されている点にある。ケララに特産する豊富な薬草を用いた土着の医学が、アーリア系のアーユルヴェーダと融合したカラリ療術は、オイル・マッサージを中心とした地元住民のもっとも身近な医療として、今日でも多くの人々に利用されている。 

しかし、イギリス植民地時代は反抗の象徴として徹底的に弾圧され地下にもぐったという。この受難によって多くの重要な技やその理解が失伝してしまった事は想像に難くない。

その後、1920年代にC.V.Narayanan Nairとその師、Kottakal Kanaran Gurukkalによってカラリ・ルネッサンス運動がおこされ、それに呼応するように南インド全体でカラリパヤットをはじめ様々な伝統文化の復興が行われた。ちなみにグルッカルGurukkalは師範を意味する尊称。 

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C.V.Narayanan Nair(左)とその師Kottakal Kanaran グルッカル(右) 

このCVNムーヴメントについては、その功罪において賛否両論がある。

ひとつには、本来伝統カラリパヤットが持っていた複雑精緻なシステムを、その武術的意味を軽視して簡略化してしまったという批判。

もうひとつは、その後の西欧人カラリパヤット修行者との交流において、特に彼らの多くがダンサーや舞台表現者であったため、さらに武術的意味が変質・失伝してしまった、という批判だ。

しかし、いずれにしても、CVナラヤナン・ナイールの存在を欠いて現代カラリパヤットを語ることはできない。そういう意味では、彼は古流柔術を現代柔道へと進化させ、その後の世界的発展の基礎を築いた加納治五郎に喩えられる、カラリパヤット中興の祖と言えるだろう。 

カラリパヤットのスタイルは、大きく北派のVadakkanと南派のThekkanに分けられ、北派はその功績からCVNスタイルが主流となる。 

 

Vadakkan(北派)

伝説では、聖仙パラシュラーマがシヴァ神から学んだ武術がその起源だと信じられている。ケララ北部のマラバール地方で主にナイール氏族によって継承されてきた。 

カラリ道場はクリ・カラリという伝統的な建築法にのっとって半地下構造で建てられる。南西のコーナーにはプータラという7段の祭壇が置かれ、一番上にはカラリの守護神が祭られる。

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プータラ祭壇に火を灯すヴィジャヤン・グルッカ 

カラリパヤットとは語義的には、この特徴的な道場の中で行われる練兵のシステムを意味するので、そのような道場建造物を持たない南派は本来はカラリパヤットと呼ぶ事はできない。 

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伝統的なクリ・カラリの道場。半地下構造で屋根はヤシの葉っぱで葺かれている。 

入門は普通7歳前後に行われ、Gurukkal(師範)の足元を手で触れる礼によって入門が許される。道場に入る時は右足から。そして祭られた神々に礼をし、師範に礼をした後、稽古が開始される。通常、修行者はカッチャーと云う褌をしめ、稽古前には全身に独特のごま油が塗られ、稽古の進展と共にこれが体内に浸透し、相乗効果を発揮していく。 

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稽古前にセルフ・アビヤンガ(オイル・マッサージ)を行う練習生。

稽古の特徴は何よりもその柔軟性にある。鞭のようにしなる身体は、まるで骨のないゴムでできているように見える。そしてジャンプ。ひねりや回転を加えた跳躍は、日常ではありえない動きを可能にしている。

また、シヴァ・シャクティ信仰に基づく、クンダリーニの方法論を取り入れており、ヨーガの伝統と重なる部分も多い。それは、ヨーガの影響を受けたというより、ヨーガと同じルーツを持つと言ったほうが、より正確だろう。 


Vallabhatta Kalari Sangamによるメイパヤットのデモ。後半部に南派の型が登場する。 

一般に修行は厳しい階梯システムで行われ、すべての習得は困難を極める。短期なら、まずは体錬だけを経験する事になる。修行の階梯は以下のように分けられる。 

1. メイターリ(体錬)

入門者が最初に行うトレーニング。蹴りを主体とした基本のChuvatuから始まり、動物の姿をかたどったVativuというポーズに進み、最後はすべての動きを統合した一連のシリーズAdavuとして完成する。

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イノシシのポーズ。実際の動きの中では突き出した左の肘を牙のようにしゃくり上げる。

このアダヴの総称がいわゆるMeyppayattで、一般に18本のメイパヤットが型として伝えられている。ちなみにヴァティヴのポーズでは腰の低さが重視され、その動きは相撲のしこや蹲踞、股割にも通じるものがある。

どんなベテランも、毎日の稽古はすべてこのメイターリからスタートして武器技へと進む。また、一連の稽古は、すべてヴァイターリというグルッカルの号令と共に行われる。

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ケトゥカーリの棒術の組棒

2. Kolthari(木製武器技) 

一般には数ヶ月~1年のメイターリ修行を終えた後、グルッカルによって許される。最初はKettukaliと云うCane(藤)でできた長い棒から始まり、Muchhan(短棒)、Otta(曲棒)、Gadha(重いバット)などに段階的に進んでいく。

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オッタ・パヤット。独特のカーブを持った短棒術。

3. Ankathari(金属性武器技) 

Dagger(短剣)、Udaval&Paricha(剣と盾)、Kuntham(槍)、Urumi(ゼンマイ状の両刃の剣。鞭のように使う)などがあり、北派カラリパヤットの白眉。

4. Verumkai(素手格闘術) 

Marmanと呼ばれる急所への攻撃を始め、関節技、投げ技、打撃技を含む総合格闘術。ここまで進むためには最低でも5年以上の修行が必要とされる。  

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独特な絞め技。基本は腕と首を攻める。

以上が一般的な弟子が習得できる4段階で、その他に奥義として、

1. Marma Chikitsa(ツボ療術)

2. Mantram(真言による瞑想集中) 

が存在するが、短期の修行でこの領域に触れるのはほとんど不可能。10年以上修行した者の中でも、選ばれた弟子にのみ伝えられる、まさに秘伝中の秘伝に属する。

そして、このMarma Chikitsaを師から受け継いだ者だけが、次代のグルッカルになることができ、彼は武術の師範であると同時に、地域の療術師として活躍する事になる。

 

Tekkhan(南派)

伝説では聖仙アガスティヤがその始祖とされる。ケララ南部から現在のタミルナードゥ南部にかけて、かつてのトラヴァンコール藩王国の領域でナイルやナダル氏族によって発展・継承されてきた。師範はアシャンと呼ばれることが多い。 

本来はカラリパヤットとは別個の伝統武術、アディ・タダAdhi Tadaとして継承されてきたが、インド独立後マラバール地方と併せてトラヴァンコール地方がケララ州に統合された事により、南派カラリパヤットと呼ばれるようになった。 

一般に北派のように特徴的な道場を持たず、屋外で稽古が行われる事が多い。また、素手の格闘術が中心で、入門者もまずVerumkaiからスタートする。北派と違って厳しい階梯システムもなく、外国人が短期で修行する場合、特に空手など打撃系格闘技の経験者にとっては、入りやすい。 

急所のMarmanに関する知識やマッサージの技術はこのテッカンからワダッカンに伝えられたとされ、より古いドラヴィダ武術の形を今に残すといわれる。

また、後述するタミル武術シランバムとカラリパヤットをつなぐものとされ、ある意味南インド武術の要とも言えるだろう。 

☆伝説によると、中国の少林寺で禅の開祖となったBodhi Dharmaは、タミルナードゥのKanchipuram出身とされ、彼が南インドで学んだ武術(カラリパヤットの原型)を禅と共に中国に伝え、それが中国武術の元になったともいわれる。それが事実なら、日本の空手も遠くインドにその源を発する事になる。 

 

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シーク教の聖戦士ニハングとガトカ武術

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インドの首都デリーから北西に位置しパキスタンと国境を接するパンジャブ州は、シーク教徒の故郷だ。

黄金寺院のあるアムリトサルと並ぶ聖地、アナンドプル・サヒーブ(Anandpur Sahib - Wikipedia)には、いまだ中世そのままの生活を維持する聖なる侍・ニハング(Nihang - Wikipedia)の修行道場アシュラムが存在する。

シーク教徒は特例として現代でも帯刀を許されているのだが、一般人はほとんどそれをしない。けれどこのニハングという聖戦士たちは今でも独自のコスチュームに身を包み、帯刀のまま町を闊歩している。Nihang - Google 画像検索

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今回訪問したGurudwara Shaheedi Baaghの場合、彼らは馬牧場を中心としたアシュラムを拠点に昔ながらの質素な暮らしを営んでいた。篤信者たちの寄付によって基本的な生計をまかないつつ、インド各地で周期的に馬術を含む武術デモンストレーションの公演を行って、その公演料も得ているようだ。 

 

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アシュラムの施設は広大で、新しい建物の建設も進められていた。ニハングの存在を支える宗教的・社会的なバックグラウンドは、かなり広範に確立しているように見えた。

f:id:Parashraama:20160804153917j:plain偶然来ていた刀の行商で品定めをする子供。もちろん刃の付いた真剣だ。 

私を迎えてくれたメンバーは若い世代が多く、青いサリーを着た若い女性や年少の子供も目についた。私の関心の焦点が武術にあったために聞き漏らしたが、基本的に在家主義をとるシーク教徒なので、彼らも結婚して家族共同体のような形でコミューンを築いているのだろう。

上のビデオの前半で紹介している『チャッカル』は車輪を意味するリングの回転技で、聖なる車輪『スダルシャン・チャクラ』をシンボライズしたものだ。

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インド亜大陸の北西端に位置するパンジャブ州にはチャッカルがあり、最南端に位置するタミルナードゥには同じ技がチャクラ・チュトゥルーの名前で共有されている。

その根底にあるのが汎インド的な『聖なる車輪』の思想であることは言うまでもない。

シランバムで高度に発達している棒術の回転技はシークの間でもマラーティの名で継承されており、棒術の回転技をより具体的な車輪として表したものが、このチャッカルやチャクラ・チュトゥルーなのだろう。

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聖なる車輪を武器とするクリシュナ。クリシュナ - Wikipediaより。 

ニハングの伝統的な青い衣装とその装飾は、シヴァ神の青い体色とそのいで立ちを模倣したものだと言う。

彼らの演じるチャッカル(聖スダルシャン・チャクラ)がヴィシュヌ・クリシュナ神の破邪の武器である事を考えると、シーク教と言うものが基本的にその思想の多くをヒンドゥ教に負っている事が良く分かるだろう。

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青い身体のシヴァ。Shiva - Wikipediaより。 

インド全体が国を挙げて経済発展に浮かれる中で、シーク教徒はその強固な保守性と共に伝統的な『インドらしさ』の保存に大いに一役買っている。

何故シークがそこまで保守的であり、同時に尚武の気風に富んでいるのかはその歴史に負うところが大きい。

ムガル帝国の時代からイギリス植民地支配に至るまで、シークはその民主と平等思想そして何よりもどのような強権にも屈しない篤き信仰と闘争心によって、常に弾圧の最前線に立たされ続けた。

しかし、そのような悲しい歴史がゆえにシーク達の持つプライドと侍スピリットが、俗化する現代ヒンドゥ社会の中でひときわ精彩を放っているのもまた事実なのだ。

アナンドプル・サヒーブはデリーの北西に位置するチャンディーガル、もしくはルディヤーナーから70Kmほど、ローカルバスで2時間くらいで着ける距離にある。

ある意味時代錯誤ではあるのかも知れないが、この最もインドらしい姿を残したシークの侍ニハングに会うために、当地を訪れるというのも旅の選択肢のひとつだと思う。

f:id:Parashraama:20160804155202j:plain黄金寺院と槍を持つ護衛士 

シーク教第一の聖地アムリトサル市内にも、このニハングの伝統を継ぐガトカ武術のアシュラムは点在している。その中心となる黄金寺院は地球の歩き方などメジャーなガイドブックに取り上げられているので、訪れる方も多いだろう。

もし黄金寺院を訪ねるならば、少しの時間を見つけてガトカ道場を見学に行ってみてはいかがだろうか。お決まりの観光コースでは味わえない、もうひとつのインドに出会えるかも知れない。

 

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カルカッタの路上生活

私は95年からインド通いを始めた鉄板のインド・フリークだが、当時格安チケット使ってインドに行く場合、バンコク経由でカルカッタコルカタ)に入るというのが王道だった。

あの頃はパキスタン航空とかエジプト航空とか名前からして怪しげな(笑)チケットでバンコクまで行って、カオサン辺りでチケットを買ってカルカッタまで飛ぶのが定番だったのだ。

私が初めてインドに行った時も、そんな訳でカルカッタに最初の一歩を踏み出したのだった。今から20年以上前のカルカッタは未だ路上生活者が町の至る所にひしめき、街角の井戸や消火栓の水を浴びて暮らしていた。

現代日本の都市ではほとんど見られないが、路上で生活しているのはホームレスだけではなく、あらゆる商売人が路上に店を構え、客たちと丁々発止のやり取りをしていた。

それは見ているだけで、何か人間の持つ根源的な生命力や逞しさを感じさせるもので、「こいつら、生きているなー!」と感じずにはいられなかった。

居並ぶ路上の店の中には、何を売っているのかも良く分からない、誰がこんなものを買うのだろうか、というような品揃えもあったりして、異世界に迷い込んだ気分になったものだ。

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インドの商店街は商品の種類によってギルド的に一か所に固まっている事が多い。路上の場合も一応はそれを踏襲しているのだがやはりカオス度が高く、何の脈絡もなく野菜売りの隣にアクセサリー売りが商品を並べていて、なぜかそのアクセサリー売りが馬の蹄鉄を売っていたりして、路上を歩いているだけで、そこらのアミューズメント・パークに入るよりよっぽど楽しめたものだ。

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しかし、野菜売りならまだしも、あのインドの気候の下で、鮮魚までも販売しているのには恐れ入った。もちろん冷蔵設備などはあるはずもない。露店で路上にシートを敷いて、その上で生魚を並べているのだ。

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一応日よけの傘などで日陰を作ってはいるのだが、ハエもちらほらとあるいは時に大量に飛び交う中、路上で売られる魚たちは、日本人の感覚ではとても手が出せそうにないものだった。

けれどカルカッタで売られている魚は地場の川魚が多く、またガンジス水系の河口部に近いので海の魚も遠くから来たものではない。これは見た目の第一印象よりもよほど新鮮で美味いのだという事は、しばらく滞在するうちに分かってきた。

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路上商人の中には、花飾りや特定のフルーツなど、たった一種類の商品だけを売っている人たちもいて、午前中だけ、あるいは一日中路上に座ってその一点ものを商っている。これで生計が成り立つのだろうか、と不思議になるが、日本のさお竹屋の経済学と一緒で、多分それなりに儲かっているのだろう。

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彼らは基本的に小便にでも行くとき以外、ほとんどその場所から動かない。新聞や水、そして弁当も携えて、その路上の一角があたかも彼の生活空間であるかのように時を過ごし、時々来る客に商品を売る。

中には靴修理屋や自転車屋、あるいは包丁研ぎ屋など作業系の店もあって、熟練の手さばきを見せている。その手間賃はたいへん安く、これもまた生計が成り立つのかと他人事ながら心配になるのだが、な~に、インド人は逞しいから何とかなっているのだろう。

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私は以前、街中で靴修理を営んでいるおじさんが、ほぼ一日中結跏趺坐(けっかふざ)で座っているのを見たことがある。立つときも別に痛そうなそぶりも見せずに、日本人が長時間正座した直後のあの醜態に比べれば、ほとんど安楽椅子からひょいと立ち上がったような感じだった。

古代インドの瞑想の伝統においては、この結跏趺坐というものが最も聖なる坐相として尊ばれたのだが、その基本は長時間続けられる「安楽かつ安定した坐法」であったという。

どうやら我々日本人とインド人とでは身体の造りがかなり違う様で、日本に入ってきた禅宗が苦行の様相を見せているのとは対照的に、インド人にとってはこの結跏趺坐(パドマーサナ)こそが、最も安楽な坐り方だったという事なのだ。

学生時代に参禅に親しんだ私は、苦行を否定した釈尊ブッダが何故このような苦痛に満ちた結跏趺坐で坐禅していたのかと昔から不思議だったのだが、実際にインドに行ってみて、見事にその疑問は氷解した。

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インドの路上商売には他にも様々な形態がある。固定した一か所に居座り続けるのではなく、リヤカーや自転車、天秤棒や籠などで移動しながら売り歩くスタイルだ。

ある程度場所が決まっている場合もあれば、何か所かを時間によって遊動するタイプもあるようだが、見た感じはこちらの方が規模と言い実入りは良さそうな気がする。

売り物はヤシの実ジュースとか砂糖キビジュースなど、酷熱の大地インドでは必須とも言える清涼飲料系が旅人にとってもありがたい。

私はヤシの実ジュースはあまり好みではないのだが、砂糖キビジュースは大好物で、その姿を見かけるとついついお代わりしてしまうほどだ。

そのはんなりとした甘さと独特の香りによって、太陽に炙られて疲弊しきった身体がみるみる癒され活力を取り戻す様子が実感できて、「う~ん、美味い!」とつい日本語でひとりごちてしまう。

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カルカッタの路上商売について紹介してきたが、カルカッタで路上、と言えば、人力車(リクシャ)を忘れてはいけないだろう。近年の経済発展にともなう交通量の増加によって、年々肩身の狭い立場に追いやられてはいるが、まだまだ現役で頑張っている。

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聞けば免許制になっていて、もはや新規免許の発行は中止になっているのだと言う。インドの商売は基本的に世襲になっている事が多く、人力車の場合も、親から子へと免許が継承される限りにおいて、存続が許されているらしい。

私は値段交渉が面倒なのでめったに乗りはしないが、やはり、彼らにはいつまでも現役でカルカッタの町を走り回って欲しいものだと思う。

しかし傍から見れば風情のある光景だが彼らの生計はかなり厳しく、一日のほとんどを路上で過ごし、寝るのもまた路上と言う人も少なくないらしい。

日本の観光地で見られるリバイバルな人力車と違って、その料金体系はローカルでは相当低く抑えられているのだろう。逆に言えば、安いからこそ生き延びられている、という側面もあるので、なかなかに難しい。

リクシャを含め、今回紹介した路上商売人の多くが、現在進行形の高度成長からは取り残されたような、古いタイプの人間に属するのだろう。

このような光景がなくなってしまうのは観光客にとっては寂しいことだが、しかしインド人にとっては、それがなくなってしまうだろう未来の方が、よほど幸せなのかもしれない。

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インドでは実店舗をちゃんと構えている場合でも、日本人の感覚で言うと半路上と言っていい様な、店と路上の区別があいまいな営業形態が結構見られる。

チャイ屋やローカルなファーストフード店によくあるパターンなのだが、ビルの外壁のわずかな窪みのようなスペースに機材一式が収納されていて、開店時にはその周囲の路上がインスタントな店舗へと変身する。

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それよりもよほどまともな店を構えていても、小規模な小売店の場合はドアがある訳でもなく、開店時はやはり半路上にまで商品を展開するので、店と路上の「けじめ」というものが日本の感覚で言うとほとんどないに等しく、通りがかりにちょっと声をかければすぐにリアクションが返ってくる。

インドでは子供が店番をするというのが日常的に行われているので、そんなガキんちょに捕まってしまったら、楽しいようなウザいような充実したひと時を過ごせるだろう。

逆にこのようなオープンな街の造りが、旅人をして何か郷愁を感じさせてしまうような、そんなインドの独特な魅力ともなっているのかも知れない。

今回は第一回という事もあって、私にとってインド初上陸の地カルカッタを取り上げたが、これから本ブログでは、インド滞在歴「観光ビザだけ」で48ヶ月、の間(主に2005~2011年)に撮りためた様々な写真やビデオと共に、未だマイナーなインド武術の紹介も交えながら、折に触れてランダムに投稿していきたいと思う。

その過程で、タイトル通りに「夢幻の万華鏡世界」としてのインドの魅力を、私なりの視点で描いていけたらと思う。

 

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