「インド万華鏡」の旅へ

インドの風景、遺跡、人々、神々、ヨーガ、伝統武術

ナルマダ河の聖地マヘシュワール / アヒリャーバーイ王妃の記憶

今回紹介するのは、マヘシュワール(Maheshwar)。オンカレシュワルの下流にあるナルマダ河に面したヒンドゥ聖地だ。  

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ガートから見るナルマダ河の夜明け 

マヘシュワールは、古くはマハバーラタの時代から知られた地政学的要衝で、現在残るガートやパレス、そして寺院群は、18世紀にこの地を支配した、ホルカー家のアヒリャーバーイ王妃が残したものだ。 

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アヒリャーバーイ王妃のパレスと、隣接するヒンドゥ寺院

ホルカー家は、近郊のインドールを拠点としたマルワー地方の藩王家で、その独特なホルカー・スタイルの彫刻でも有名だ。 

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寺院内陣からナルマダ河を望む 。イスラム建築の影響を受けた非常にスタイリッシュな様式美

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反対にガートから見上げるとこのようになる

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寺院正門。靴やチャッパルを脱ぐように、と書いてあって、インド人は素直にそれに従う

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微妙に左右で違うがシンメトリカルな象の彫刻。背中に登るための梯子まで描いてある

アヒリャーバーイは男勝りの女傑で、しばしば先頭に立って軍陣を指揮したという。 西洋におけるジャンヌ・ダルクのような女傑伝説はインドでは結構多い。

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パレスを見上げるガートを行く巡礼の家族。ここでも聖杖ダンダは欠かせない 

このパレスは王妃が居城として造ったもので、最上階は今ではゲストハウスになっているというが、小ぶりながらも堂々とした雄姿を見せている。

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パレス最上階は展望レストランとゲストハウスになっている。さぞかし眺めが良いのだろう

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メインガートでプージャをする巡礼たち 

パレスの眼下にはメインガートが広がり、日々多くの巡礼たちで賑わっている。その光景は、バラナシなどのコマーシャライズされたものとは違う、いにしえからの素朴な風情を湛えている。

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メインガートには多くの寺院や祠堂が立ち並んでいる 

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朝日を受けて洗濯や沐浴、プージャの準備に余念がない

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おそらく個人が寄進したと思われる小さなシヴァ・リンガ。ナンディ牛が見守っている

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まだ薄暗い明け方、働き者の女たちは洗濯にいそしむ

メインガートを一歩離れると、途端に人気は少なくなる。やがて火葬場のガートを過ぎると、ほとんど手付かずの河原が広がり、茫漠とした河の水だけが滔々と流れ続けている。

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人気の無いガートを洗濯女が行く 

そんな寂れた河原にも所々内陸の集落からの道がつながり、その周囲には小さなガートと、それを守るように立つ祠堂が必ずある。

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ガート沿いに立つ祠堂で祈る女性 

どんなに小さな祠堂でも、それは日々の生活の中で絶対に欠かせない大切な祈りの場になっており、そんな祠堂やガートをつなぐようにして、川沿いには延々と踏み分け道の歩道が続いている。

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茫漠たる水の広がりと点在する祠堂

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ガートは、一応場所や時間で大雑把に男性用と女性用に分けられている様だ。これは男性タイム

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川船は観光用だけではなく日常の足としても活躍している。これは対岸への渡船

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この水の圧倒的な存在感は、どんなに写真を並べても伝えきれない

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と言いつつも、可能な限り伝えたいので並べてしまう

上の写真には川沿いの遊歩道(単なる踏み分け道)が写っているが、もしマヘッシュワールを訪ねたならば、是非のんびりと散策してみてほしい《日射病には注意!》。

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高台の寺院から対岸を見渡す。船の大きさから川幅の広さがイメージできるだろうか

祈りと沐浴そして洗濯。そこに流れるゆったりとした時間は、太古より変わらずに流れ続ける聖ナルマダ河の水の流れにわが身を重ねて生きる、インドの人々の心象風景そのものかも知れない。

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朝焼けの中、沐浴する 

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こちらは夕暮れ時。ガートもない自然の岩の岸で沐浴している

現在のマヘシュワールはローカルバスが着くバススタンドからガートに向かって南へと伸びる一本道の周囲に発達した小さな町で、一歩町域を外れると、のどかな村の風景が広がっている。 

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周辺の村には広大なバナナ園が広がっていて、これは出荷風景。インド人には男女ともに「作業服」という概念はあまりないようだ。

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村の祠堂を守るプージャリ。背後には要塞化された寺院が見える

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要塞内部の庭園中央に立つヒンドゥ寺院。砲弾型のデザインはインド寺院建築の祖型。こんなアシュラムでヨーガ三昧の生活とかできたら幸せだ

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村の女の子たち。左の子は水汲みの瓶を頭に乗せ、おやつのサトウキビをかじっている

インドではよくある事だが、村の子供たちはとても人懐こく、カメラを持った私はたちまち取り囲まれてしまった。 

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一度写真を撮ると、目ざとい子供らがたちまち群がって来る

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インドでは珍しい木造の家も残っている。酷暑期への対応が第一に考えられ全体に窓は小さい

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これもかなりの部分が伝統的な木造建築になっている

ナルマダ河のガートを中心としたマヘッシュワールは、有名観光地などとは対照的な、素朴なインドの原郷とも言える 聖地だ。

これから紹介する予定のオンカレシュワルやマンドゥをはじめ、マディヤ・プラデシュ州にはそのような場所が多く存在している。観光メインルートから外れたインドらしいインドを味わいたい人は、是非訪ねてみてほしい。

youtu.beより、次回に紹介する予定のオンカレシュワルとマヘッシュワールのPV

さすが観光局の公式だけあって美しい映像だ

(本記事はマヘシュワール・王妃アヒリャバーイの記憶 1・2 - Yahoo!ブログを大幅に加筆修正し移転したものです)

 

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マヒンドラ・オートよ永遠に! / ウジャイン3

ヒンドゥ聖地としてのイメージの強いウジャインだが、私にとってウジェインとは、ズバリ、マヒンドラの乗り合いオートに他ならない。 

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見よ、このレトロなマッドマックス的風格を! 

一般にテンプーと呼ばれるこの公共の乗り合いミニバスは、大きく前に伸びた前輪駆動のフロントノーズから、あたかもイージーライダーのように車輪が突き出し、内部構造もまるで耕耘機のようにシンプルだ。 

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そのノーズカバーを開けただけで、シンプルなエンジン構造の全てがあらわになる

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図体の割には華奢かつシンプルな操作系

独特なピストン式レバーを前後し、ギアチェンジをするドライバーのその手さばきがまた渋すぎる。 

 

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前輪の脇にマフラーが見える。車窓にはやはりターバンがお似合いだ

エンジン音はどこまでも単調。その特徴的な腹に響くドッドッドッドッドというリズミカルな低音を轟かせ、黒煙をモクモクとなびかせて今日もガタガタと疾走する。

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木造家屋も残る古い町並みを背にひた走る 

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道っぱたは即席の修理工場でもあり、車庫でもある

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どこか、動物の顔を思わせるフロント・フェイスだ。しかし、各車年季が入っている!

聞くところによると、かつてはインドの北半分全域で見られたこのオートも、現在ではデリー周辺とこのウジェインを除いて絶滅してしまったという。 

近隣のインドールでは、2010年2月には健在だったが、同じ2010年の12月には見事に消滅し、全てスズキマルチの箱バンへと入れ替えられていた。 

いずれインドの大地からこの姿がすべて消え去ってしまう日もそう遠くはないだろう(それはひょっとして2016年現在、すでに起こっているかもしれない!) 

だが、私にとってのウジェインとは、永遠に疾走するマヒンドラ・オートなのだ。

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花売り女と牛とマヒンドラ。スズキ・マルチなんてこの街には似合わない 

この乗り合いオート・テンプーというミニバス、番号の振られた市内循環ルートと、郊外に向かうルートの二種類あるので、ウジェインにお立ち寄りの際は、是非利用してみて欲しい。

そしてもし、現在でもこのマヒンドラが生き残って健在であるならば、願わくば写真と共にご一報いただければ嬉しい。

ウジェイン2:マヒンドラよ永遠に!Yahoo!ブログを加筆修正の上、移転したものです) 

 

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チャトリ墓廟が意味するものと仏教ストゥーパ / ウジャイン 2

前回のウジェイン1記事の中で、ハルシッディ寺院のドーム天井について紹介した。

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ハルシッディ寺院のドーム天井に描かれたシュリ・シャクティ・ヤントラ(マンダラ)。アングルの関係で分かりにくいが、ヤントラの中心が天上ドームの中心になる

ハルシッディ寺院もそうだが、ウジェインを含めて、西インド全域で特徴的に見られる建築様式にドーム構造屋根がある。

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メインとなるラム・ガートのすぐ背後には、印象的なチャトリの一群がある

それは大きく、ヒンドゥ教やジャイナ教の寺院建築と、チャトリ、すなわちマハラジャなど高位の実在の人物をその死後に記念した墓廟建築に分ける事ができる。

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ウジャイン市内のシヴァ寺院。御本尊を納めた神室の上部には高い尖塔が聳え、その手前にドーム屋根のマンダパ・ホールがあるという基本的な構造はハルシッディ寺院と同じ

ハルシッディ寺院や上のシヴァ寺院の場合は、御本尊が安置される神室の上部が高い尖塔型屋根の本殿で、手前にある礼拝室マンダパがドーム状の天井・屋根になっている。そして注意深く見ればドーム頂上にはチャトリのそれと同じ小尖塔構造が確認できるだろう。

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マンダパ・ホール内部から神室を望む。ドーム天井の円輪デザインは下のチャトリのそれと重なる

チャトリの場合余計な神室・本殿がないので、外観内部共にキッチン用品のボウルを伏せたような構造になっている事が手に取るように分かる。

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ウジェイン市内、メイン・ガートの背後に立つチャトリ墓廟。一見するとイスラム建築様式に見えるが・・

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その内部天井の円輪デザインは、上述ハルシッディ寺院やシヴァ寺院などのドーム天井と重なり合う

ヒンドゥ教徒の場合、遺体は荼毘に付して川に流すので一般的な墓は持たず、このチャトリはあくまでも遺体の埋葬を伴わない記念廟になる。

ここには4基のチャトリがあるが、中でも最大のチャトリの内部中心には、興味深い事にシヴァ・リンガが祀られている。

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内部天井と同じく同心円状にデザインされた基壇上、その中心に据えられたシヴァ・リンガ(チャットルムカ・リンガ)

他のチャトリでは、そのドーム屋根に覆われた円形のフロア中心には、記念されているマハラジャやその伴侶と思われる座像や立像が安置されている。

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二番目に大きなチャトリの中心には、マハラジャと思しき座像が置かれている

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別のチャトリに安置された立像。頭部の形状(髪型)や表情から見て女性だろう

ここで面白いのは、何故死んだ人間とシヴァ神が、同じ様式で祀られ得るのか、と言う点にある。その根底にあるのは、インド人が持つ独特な死生観だ。

インドでは輪廻転生の世界観が深く信仰されている。そして古代において、一般的な在家の人々にとって最も望ましき死後の帰趨は、神々の住まう天界への再生であると考えられていた。

やがてそこにブッダやマハヴィーラなど輪廻からの解脱を志向する求道者たちの思想が加わって、本来天界の住人であったはずの神々の中で、シヴァやヴィシュヌやブラフマンなどの至高神たちが、その背後にある‟絶対者ブラフマン”と共に『解脱界(解脱の境地)』を象徴体現する様になっていった。

ここに同じチャトリ基壇の中心に、シヴァ神と死者が同じように祀られ得る論理的整合性がある。つまりチャトリにおいて祀られた死者は、神々が住まう天界への再生、あるいは仮想の『解脱界』への帰趨が強く願望されている、という事なのだ。

そう考えるとチャトリと言う構造建築が全体として何を表象しているのかが分かってくる。それは有りうべき天上界、そしてそれを遥かに超えた高みにある『解脱界』の具象化に他ならない。

そもそもこの墓廟を意味する『チャトリ』、本来は貴人を象徴する日傘や傘蓋を意味し、そこから更に『天蓋』というイメージをも派生していく言葉で、後述する『チャトラ』と重なり合うものだ。

この『天蓋』という概念の中にこそ、天のドームの最上部に位置する天界や『解脱界』のイメージが内包されていると私は考えている。

つまり、チャトリ基壇の中央に祀られたシヴァ・リンガムは天蓋ドームの頂点である天界(解脱界)から地上への神の降臨を表しており、同じように基壇中央に置かれた死者の像は、地上から天界への死後の上昇再生(あるいはそれをも超えた解脱)という願望を象徴している。

そのドーム屋根が特徴的な線条を持った玉ねぎデザインである為、一般にこのチャトリはイスラムのドーム建築の影響を強く受けたものだと考えられがちだが、実態としてはその頂から放射状に刻まれた線条は傘の骨(車輪で言うスポーク)を表しており、その内実は極めて土着インド的である事が分かるだろう。

そして、あまり知られていない事実だが、このような輪廻転生思想や天の傘蓋と言う概念の背後には、インド固有の『輪軸世界観』や『須弥山思想』と言うものが横たわっている。

この『輪軸世界観』や『須弥山思想』を前提に更に考察を推し進めると、ヒンドゥ・チャトリは起源的に見て、仏教のストゥーパ建築と深い関わりがあるのではないかと思われるのだ。

ストゥーパとは仏教の開祖ゴータマ・ブッダの死後、その火葬した遺灰(舎利)を分骨してインド各地に祀ったという、その墓廟に起源するもので、元々はさほど大きくはない土饅頭の塚の様な物だったと考えられている。

それが時代を経るに連れて巨大化し、サンチーに見られるようなレンガを積み重ねた巨大な伏せ鉢型の構造建築へと進化したという。

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半球状のドームが美しいサンチー第三ストゥーパ

その後長い時を経て、ヒンドゥ教の台頭とムスリムの侵略などによりインドから仏教が滅び去った時に、このストゥーパ建築文化も共に滅び去ったというのが一般的な認識なのだが、私はこのウジェインのチャトリを目の当たりに見て、全く新しい可能性について眼を開かされたのだった。

それが、このチャトリというヒンドゥ教の墓廟は仏教ストゥーパの正統の後継建築ではないか、と言う仮説なのだ。

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サンチー第一ストゥーパの中心頂上に建てられた傘、すなわち『チャトラ』のアップ

これはサンチー・ストゥーパの頂上中心に聳えるチャトラがチャトリの類語であり、更にストゥーパのドーム状の造形や共に墓廟であると言う事実から単純に直観された仮説なのだが、その奥行きは深い。この話は相当に長くなるのでまた稿を改めて書きたいと思う。 

 

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ラジサマンド湖畔の知られざるパビリオン彫刻

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第一パビリオン。湖面に反射する日の光に下から照らされて彫刻の陰影が美しく揺れている

ラジサマンド湖(Rajsamand Lake)はラジャスタン州に多くある人造湖のひとつで、レイクパレスで有名なウダイプル市から北に六十数キロ離れたカンクローリ(Kankroli)の町はずれに位置している。 

ラジサマンド湖は1660年代にウダイプルのメワール王マハラーナー・ラージ・シン(Maharana Raj Singh)によって造られたダム湖で、その南端の湖岸に美しい大理石のガートがあることで知られている。

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ラジサマンド湖南岸に作られた大理石のガート

最奥部にパレスがあり、水際にはパビリオンとトラナが建てられている

ちなみにこのマハラーナーというのは西インドのラージプート族が主に使う称号で、ラーナーとは軍事的な王、日本語で言えば武王、もしくは将軍に近いニュアンスの言葉になる。それにマハがついているので『大武王・大将軍』的な意味合いだろうか。尚武の気風を尊ぶラージプートらしい呼称だ。

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ラージ・シング - Wikipediaより

直刀両刃の長剣とカタールダガー)という短剣を携えている

その大武王ラージ・シンによって造られたからラージの湖(サムードラ)、でラジサマンドと言う訳だ。

湖の南岸に設けられた大理石のガートは、王族がヒンドゥーの祭式を執り行うための特別なセッティングだというが、その水際には同じように大理石で作られた美しいトラナ(門塔)とパビリオンが立っている。

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手前が第三トラナ、奥に少し見にくいが第二トラナ、背後にパレス、第一パビリオン、その隣奥が給水塔

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少し場所を変えて、第一パビリオンと第二トラナ

f:id:Parashraama:20160823173705j:plain三角屋根が特徴的な第三トラナと第二パビリオン

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最もパレスに近い第一パビリオン。その内面は精緻な彫刻で埋め尽くされている

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第一パビリオンと大理石のプラットホーム。時間が止まっているようだ

このトラナとパビリオンは王妃チャルマティ(Maharani Charumati)の特別な肝いりで建てられたと言われ、特に三基あるパビリオンの内部に施された装飾彫刻は、女性的で繊細な感性をうかがわせる精緻を極めたものだ。

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レースの様に繊細な天井彫刻。女性らしく鳥や花のモチーフが多い

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中央はブラフマー神か、あるいはトリムルティ

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首の欠損が多いが、当時の風俗を活写している

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第二トラナ。湖面の青とのコントラストが美しい

実はこのガート遺跡は、内容は世界遺産級であるにもかかわらず何故か放置されていて、そのハイライトと言うべき彫刻群もかなり土埃を被ってしまっていた(2011年時点:ひょっとすると毎年雨期の増水のたびに水没して、泥にまみれてしまうのかも知れないが・・)。

掲載写真は中でも汚れの目立たない美しいものを選んでいるが、インド政府当局には是非改善して頂きたいと願っている。

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正面から見た第三トラナ。ヒンドゥ教で言う天国への門(スワルガ・ドワラ)のイメージだろうか。雑草が生えてしまっているのが、また廃墟的な寂寥感をかき立てる

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正面から見た第二パビリオン。列柱のたたずまいが素晴らしい

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精緻を極めた彫刻。中心の七頭立てラタ戦車に乗るのは太陽神スリヤだろう

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一枚の方形パネルの大きさは1m×1m程か。余りに細かすぎて何が彫ってあるのかよく分からない

f:id:Parashraama:20160824005223j:plainよく見ると中央辺り、まだ作業途中で完成していない。さすがインド人!

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神話の世界に迷い込んだようだ

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湖面に映る第二パビリオン。洗濯する女性が小さく写っている

インドで川や湖の水際に見られるガートは、乾季と雨季の水量の違いを前提にして階段状に造られている。私がここを訪ねたのは1月の乾季だったので水面はかなり低い。

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第四トラナ越しに第二パビリオンを見る

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実はこのガートのどこかに、ゾウが交尾している「ミトゥナ象」が彫られたパネルがある。これは確かカジュラホにも見られるもので、カーマ(性愛)を尊ぶ上流インド人士の洒落っ気とでも言おうか

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パレスから一番遠くにある第三パビリオン。彼方に小さく給水塔が見える

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岩山からガートを見下ろすと全体像がよく分かる。白く乾いたガートと膨大な水の広がりの対比

第三パビリオンを過ぎてさらに進むと、小高い岩山に登ることができる。そこから見下ろすガートと湖は絶景の一語で、ガートから突き出したプラットフォームにパビリオンが建てられている、その全体像がよく見渡せる。

上の写真の最奥部山際にはパレスが見えるが、その背後の山頂にはやはり遺跡のように古びた別荘ハヴェリが建っている。そちら側に登って見下ろした写真が下になる。

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山頂ハヴェリはまだ人が住めそうな体裁をなんとか保っている。白い漆喰壁が陽に眩しい

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イスラム風の玉ねぎ屋根はこの辺りのスタイル

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中段にあるのは新しいモスク。その右上の湖畔に第三パビリオンとガートがかろうじて見える

この山頂パレスから見る湖や360度のパノラマは絶景で、是非登ってみることをお勧めしたい(現在では立ち入り禁止になっている可能性もあり)。

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かつては美しい姫がこのベランダに佇んでいたのだろうか

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湖の周りは緑に覆われているが、少し離れた山肌は乾燥し切っている

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他にも遺跡っぽいハヴェリか寺院らしき建物が点在する

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途中、モスクの敷地へ通じるゲートの背後にも、やはり遺跡っぽい門塔が建っている

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山頂パレスの手前で出会ったポップなガネーシャ神とハヌマーン

ラジサマンド湖のあるカンクローリには、他にもクリシュナ神を祀るドワルカディシュ寺院(Dwarkadhish Temple)などの見所がある。ヒンドゥ教徒以外には余り面白味はないかも知れないが、ラジャスタン特有のハヴェリ(Haveli)建築が見られるので時間があれば訪ねてみるのもいいだろう。

ラジサマンド湖に行く場合、カンクローリはほとんど観光開発されていないので、宿泊はウダイプルにして日帰りツアーがお勧めだ。

ウダイプルのバスターミナルからローカルバスで1時間半ほど。カンクローリのバスターミナルで下車して、オート・リクシャで『ナウ・チョウキ・パーク(Nau Chowki Park:ナヴ・チョキ・パルク)』と言えば10分ほどでラジサマンド湖畔に到着する。手前にある児童公園の様な敷地を通り抜けた奥がガートだ。

また次回以降に改めて投稿したいが、ウダイプルからカンクローリへ来る途中には、この辺りでは一番有名なクリシュナ寺院があるナットドワラという町や、その少し手前にはやはり大きなトラナで知られるエクリングジ(Eklingji)という村がある。

ウダイプルの周辺には外国人観光客にはあまり知られていない穴場が多いので、これから本ブログで少しずつ紹介していきたい。

 

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クンブメーラの聖地・ウジェイン 1

ウッジェイン(Ujjain)の名前は既にマハバーラタの時代から知られ、ブッダが生きていた紀元前5世紀頃には16大国のひとつ、アヴァンティ王国の首都ウジェイニとして記録に残っている。

f:id:Parashraama:20160818152821j:plain町の中心にあるバザールの賑わい。背後にはクリシュナ(ゴパール)寺院が建つ

マウリヤ帝国の第三代・アショカ大王は若き日に太守としてこのウジェインに赴任し、その旅の途上ヴィディシャで、美しい商人の娘と出会って結婚した。

二人の間に生まれたマヒンダは長じて敬虔な仏教僧侶となり、父アショカの意を受けスリランカへと仏教を伝えたと言う。

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ヴィディシャ近郊のサンチーの丘は仏教聖地として発展し、多くのストゥーパが建てられた

アショカ王の時代には仏教が盛んだったウジェインもその後のグプタ朝期にはヒンドゥ化が進み、今では仏教の気配はほとんど失い、12年に一度クンブメーラの大祭が開かれる、インド有数のヒンドゥ聖地として賑わっている。

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シプラ川沿いに続く広大なガート。ここがクンブメーラの会場となる。 

2016クンブメーラの時のガートの様子

市内には12ジョティリンガのひとつマハカレシュワル寺院や西インド土着の母神であるハルシッディ女神を祀る寺院など沢山のヒンドゥ寺院が立ち並び、年間を通じてインド中から善男善女が巡礼に訪れる。

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こじんまりとしたハルシッディ寺院の外観

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ハルシッディ女神の御神体

ハルシッディ女神は西インドを中心に広く信仰されているアンバージー女神の分身とも言われ、土着の地母神信仰の流れをくむ女神だ。

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信者が集うマンダパ・ホールの天井にはシュリ・チャクラが描かれる

この寺の礼拝ホールのドーム天井一面には巨大なシュリ・チャクラが描かれ、ここが女神の性力・シャクティを祀るデヴィ・シャクティ信仰のメッカである事を示している。

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聖なる乗り物であるネズミの上に鎮座するガネーシャ

蓮華座の上に座るのは仏像と同じだ。

シプラ川両岸のガート沿いをはじめ、ウジェイン市内は大小の寺院・祠堂があふれる一大宗教都市となっている。

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シヴァ神御神体シヴァ・リンガムに礼拝する信者

リンガはこの地域に多い自然石製で、ヨーニは真鍮板で荘厳されている

その中心になっているのが、シヴァとその神姫であるシャクティ女神と、クリシュナ・ヴィシュヌ神である、と言って良いだろう。

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黒い肌のクリシュナ神。ある意味現代インドにおいて最も人気の高い最高神

このシヴァ神と神姫シャクティ(様々な異名を持つ)、そしてクリシュナ・ヴィシュヌという三神は、おおよそ現代インドにおける最も勢力の有る三神であると言っても過言ではない。

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対岸からメインガートを遠望する

そういう訳で、ウジェイン市内でメジャーな寺院を一回りしガート周辺を巡って様々な祠堂を訪ねれば、おおよそインドにおけるヒンドゥ教の有りようと言うものが一通り理解できるだろう。


Ujjain - The City of Temples & Indore - Commercial Capital of Madhya Pradesh

ウジェインと近郊の中心都市インドールを紹介するオフィシャル・ビデオ

マンドゥ、オンカレシュワル、マヘシュワールにこのウジェインを加えたエリアはインドール・サーキットと呼ばれ、古き良きインドらしさを凝縮した地域になっている。有名観光地とは一味違うインドを是非体験して欲しい、お勧めのエリアだ。

 

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ケララの伝統武術:カラリパヤット(Kalaripayattu)

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シーク教の聖戦士ニハングとガトカ武術

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インドの首都デリーから北西に位置しパキスタンと国境を接するパンジャブ州は、シーク教徒の故郷だ。

黄金寺院のあるアムリトサルと並ぶ聖地、アナンドプル・サヒーブ(Anandpur Sahib - Wikipedia)には、いまだ中世そのままの生活を維持する聖なる侍・ニハング(Nihang - Wikipedia)の修行道場アシュラムが存在する。

シーク教徒は特例として現代でも帯刀を許されているのだが、一般人はほとんどそれをしない。けれどこのニハングという聖戦士たちは今でも独自のコスチュームに身を包み、帯刀のまま町を闊歩している。Nihang - Google 画像検索

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今回訪問したGurudwara Shaheedi Baaghの場合、彼らは馬牧場を中心としたアシュラムを拠点に昔ながらの質素な暮らしを営んでいた。篤信者たちの寄付によって基本的な生計をまかないつつ、インド各地で周期的に馬術を含む武術デモンストレーションの公演を行って、その公演料も得ているようだ。 

 

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アシュラムの施設は広大で、新しい建物の建設も進められていた。ニハングの存在を支える宗教的・社会的なバックグラウンドは、かなり広範に確立しているように見えた。

f:id:Parashraama:20160804153917j:plain偶然来ていた刀の行商で品定めをする子供。もちろん刃の付いた真剣だ。 

私を迎えてくれたメンバーは若い世代が多く、青いサリーを着た若い女性や年少の子供も目についた。私の関心の焦点が武術にあったために聞き漏らしたが、基本的に在家主義をとるシーク教徒なので、彼らも結婚して家族共同体のような形でコミューンを築いているのだろう。

上のビデオの前半で紹介している『チャッカル』は車輪を意味するリングの回転技で、聖なる車輪『スダルシャン・チャクラ』をシンボライズしたものだ。

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インド亜大陸の北西端に位置するパンジャブ州にはチャッカルがあり、最南端に位置するタミルナードゥには同じ技がチャクラ・チュトゥルーの名前で共有されている。

その根底にあるのが汎インド的な『聖なる車輪』の思想であることは言うまでもない。

シランバムで高度に発達している棒術の回転技はシークの間でもマラーティの名で継承されており、棒術の回転技をより具体的な車輪として表したものが、このチャッカルやチャクラ・チュトゥルーなのだろう。

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聖なる車輪を武器とするクリシュナ。クリシュナ - Wikipediaより。 

ニハングの伝統的な青い衣装とその装飾は、シヴァ神の青い体色とそのいで立ちを模倣したものだと言う。

彼らの演じるチャッカル(聖スダルシャン・チャクラ)がヴィシュヌ・クリシュナ神の破邪の武器である事を考えると、シーク教と言うものが基本的にその思想の多くをヒンドゥ教に負っている事が良く分かるだろう。

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青い身体のシヴァ。Shiva - Wikipediaより。 

インド全体が国を挙げて経済発展に浮かれる中で、シーク教徒はその強固な保守性と共に伝統的な『インドらしさ』の保存に大いに一役買っている。

何故シークがそこまで保守的であり、同時に尚武の気風に富んでいるのかはその歴史に負うところが大きい。

ムガル帝国の時代からイギリス植民地支配に至るまで、シークはその民主と平等思想そして何よりもどのような強権にも屈しない篤き信仰と闘争心によって、常に弾圧の最前線に立たされ続けた。

しかし、そのような悲しい歴史がゆえにシーク達の持つプライドと侍スピリットが、俗化する現代ヒンドゥ社会の中でひときわ精彩を放っているのもまた事実なのだ。

アナンドプル・サヒーブはデリーの北西に位置するチャンディーガル、もしくはルディヤーナーから70Kmほど、ローカルバスで2時間くらいで着ける距離にある。

ある意味時代錯誤ではあるのかも知れないが、この最もインドらしい姿を残したシークの侍ニハングに会うために、当地を訪れるというのも旅の選択肢のひとつだと思う。

f:id:Parashraama:20160804155202j:plain黄金寺院と槍を持つ護衛士 

シーク教第一の聖地アムリトサル市内にも、このニハングの伝統を継ぐガトカ武術のアシュラムは点在している。その中心となる黄金寺院は地球の歩き方などメジャーなガイドブックに取り上げられているので、訪れる方も多いだろう。

もし黄金寺院を訪ねるならば、少しの時間を見つけてガトカ道場を見学に行ってみてはいかがだろうか。お決まりの観光コースでは味わえない、もうひとつのインドに出会えるかも知れない。

 

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