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天空の城塞寺院都市:パリタナ・シャトルンジャヤ

シャトルンジャヤ(Shatrunjaya)はグジャラート州南部パリタナ市の郊外、カーティヤワール半島東岸を見下ろす小高い丘の上に位置するジャイナ教シュヴェターンバラ派(白衣派)の聖地だ。 

ジャイナ教は不殺生と無所有を主な戒とし極端な苦行と禁欲を中心とした出家修行によって輪廻からの解脱を目指す、ゴータマ・ブッダとほぼ同時代に生まれた歴史ある宗派のひとつ。

その後ジャイナ教は出家者が全裸で修行する厳格なディガンバラ(裸形)派と白衣を着る事が許されたシュヴェターンバラ派に分かれている。白衣派は女性出家者も多く、ここでも多くの巡礼者を見かけた。

白衣派を中心としながらも、ここシャトルンジャヤは現在では全てのジャイナ教徒にとって、生涯に一度は巡礼したい最高の聖地となっていると言う。

聖域は海抜600m程の岩がちな丘陵の南北二つの頂上台地とそれを繋ぐ鞍部が高い石壁で囲まれ、その内部9区画におよそ863(数え方によって1008とも言われる)もの大小の寺院が密集して建てられた一大寺院都市だ。

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聖域鳥瞰。後で掲載する現地案内図とは逆で、北が上になっている事に注意

 

 

シャトルンジャヤとは『内なる敵に勝利する』事、つまりあらゆる欲望を超克した解脱(ニルバーナ)を意味し、ジャイナ教24祖師(ティールカンタラ)の内の多くがここを訪れた、もしくはここで瞑想修行し解脱した、と伝えられている。

主神殿のアディナータ(アディシュワラ)寺院は初代ティールタンカラ・リシャバナータ(別名アディナータ)に捧げられたもので、その聖域ゲートに辿り着くまでには麓の登山口から3.5㎞、3700段以上の階段を2時間以上かけて登らなければならない。

シャトルンジャヤ山頂は太古から聖地だったようだが、現存する寺院の建造は11世紀頃から始まり、ムスリム軍の破壊を経て16世紀に再建され、その後19世紀頃までのおよそ900年間にわたって篤信のラジャや富商などによって段階的に増築拡張されていった様だ。

当時、西から来たムスリム侵略軍による破壊はインド教全体にとって一大脅威となっており、寺院群全体がひとつの城砦都市の様に強固な守りを固めている。

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とっつきは結構急な階段が続く

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延々と続く石階段の登山道には時々休憩所が設けられているが飲食店はない

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道が平坦になってしばらくすると、前方の山頂に城砦の様な寺院都市が見えた! 

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城壁越しに寺院の尖塔を見上げる

高齢や障害、あるいは肥満や体力不足など様々な理由で自分の足で登るのが困難な人の為に、ドーリーと呼ばれる人力駕籠が用意されており、体重に応じた料金が設定されている。

私自身は乗っていないが、ネット上の体験記を読んでみると、スピードが遅く休憩が多すぎ、しかも乗り心地が悪いと言う証言が多く、問題なければ自力で歩いたほうが賢明かも知れない(話のネタにはなるが)。

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女性の駕籠かき。竿は頭上に乗せる

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男性の駕籠かき。竿は肩に乗せる。この辺りは下界の貯水池が展望できる

城壁で囲まれた聖域エリア内は、輪廻から解脱したティールタンカラたち(至高神に等しい)が到達した天上の『涅槃界』の地上における再現と位置付けられ、出家の聖職者を含め何人も夜を過ごす(宿泊する)事が許されていないため巡礼は全て日帰りで行われる。またモンスーン期の4か月間は寺院都市全体が閉鎖される。

例え冬季でもグジャラートの日差しは苛烈なため、ほとんどの巡礼者は早朝に出発して暑さがピークを迎える前に、あるいはピークを越えた夕方以降に山を降りる。

理想的には未明の深夜に登り始めて早朝のプージャに参列し、1日を聖域で過ごした後、夜のプージャを終えて下山するのが本当の篤信者なのだと聞いた。

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メインゲートの手前に巡礼客が乗り降りする駕籠だまりがある

聖域は広大かつ複雑な内部構造となっているのでほとんど迷宮に近い印象で、夢中になって見て回っていると自分が今どこにいるのかさっぱり分からなくなりがちなのだが(現在ではスマホGoogle Mapも使えるが…)、まず最初に一番高く見晴らしのいい北嶺山頂を訪れて全体像を俯瞰し、あらましを把握するのがお勧めだ。

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寺院都市全体の案内板。主神殿アディシュワラ寺院がある南嶺エリアが上になっている

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北嶺エリアからの眺め。鞍部の寺院群と南嶺のアディシュワラ寺院群遠望

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この構図が好きではまってしまった

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建造年代の新しい中央鞍部のエリアと南嶺エリアを俯瞰する

遠望すると、特に建造年代の古い南嶺エリアの美しさが際立っている。その林立する寺院の尖塔群には圧倒されるだろう。

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南東の下界に貯水池の大きな湖が遠望できる

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北嶺最高所に位置するこのエリアの主神殿 

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下で紹介するが、北嶺の寺院群ドーム天井内面には美しい装飾ペインティングが多かった

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二重になった聖域西側の城壁と岩崖。貯水池クンドも見られる。籠城戦もこなせそうだ

今回この記事をまとめるに当たり日本語と英語のサイトをいくつか調べてみた所、2012年のブログに「聖域内のカメラ・フィーとして100Rs」、2013年以降のブログでは「神殿内部の写真はすべて禁止」という記述が目にとまった。

筆者が当地を旅した2011年初頭には(記憶は少々曖昧だが)カメラ・フィーは50Rsくらいで、アブー山やギルナール山のジャイナ教寺院と違って神殿内部の写真は一部を除いてOKだったと思う。

いわゆる「ご本尊」の写真撮影は全てのエリアの主神殿で禁止されてはいたが、中小の祠堂の尊像や一般的な神殿内部の装飾・彫刻の撮影に関しては特に禁止されてはいなかった。

今回、現在では撮影が禁止されている神殿内部の写真を掲載すべきか否か、という点に少々悩んでしまったのだが、今となっては貴重な資料かも知れず、また全ての人が現地に行って自分の眼で見る事が出来る訳でもないので、厳選して公開する事にした。

これは特に西インドのジャイナ教寺院全般に見られるのだが、シャトルンジャヤの寺院建築にはいくつか際立った特徴がある。

そのひとつが後で紹介する『チャトルムカ(チョウムカ)』の構成で、もうひとつがドーム天井に覆われた神殿・マンダパとその内面全体に刻まれた精緻を極めた彫刻装飾の見事さだ。

特に後者は同じグジャラートのギルナール山やラジャスタンのアブー山、ラナクプールなどにも典型的に見られるもので、ジャイナ教美術の粋と言っても言い過ぎではない。

シャトルンジャヤを紹介する英語のサイトなどでは神殿内部の画像も散見するので、ここではジャイナ教寺院建築美術装飾の素晴らしさやその独特な心象世界を知っていただくために、ドーム天井装飾を中心に神殿内部の写真も掲載していく。

撮影に関しては一応係員(らしき人)に確認したのだが、昔からインド人は結構いい加減な事が多く、本来は撮影禁止されているにも拘らず外人観光客に対するその場のノリで黙認してくれる場合も多々あるので、ひょっとするとこれらの写真は『門外不出』の可能性もある。

何にしてもその素晴らしさは私のパソコン・フォルダに死蔵していてはもったいないので、貴重な文化的資料として見て頂ければと思う。

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ジャイナ教ドーム装飾は精緻な彫刻が多いのだが、ここでは見事なペインティングが際立っていた

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彫刻と彩色のハイブリッド。細かく並んでいるのは蓮弁(蓮華の花びら)デザインだ

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パステル調のメルヘンチックな天井画。肩に羽を生やしているのは天人(アプサラ)だろうか?

 

 

北嶺最高所からの俯瞰ビューを堪能し、周辺寺院群をざっと巡った後は、全体のメインとなる主神殿アディシュワラ寺院を訪ねるのが定番だ。
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主神殿へ向かう象門(ハティ・ポル)。何重ものゲートを連ねた聖域への入り口。天界への門か

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北嶺や鞍部エリアとは対照的に、南嶺エリアの内陣は大勢の巡礼信者でごった返している

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内陣は多くの区画で分けられ、それぞれで同時進行的に様々なプージャが執り行われている。

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モノトーンな寺院外壁と女性がまとうカラフルなサリーの対比が鮮やかだ

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主神殿アディシュワラ寺院は一番人気のメインステージ

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アディシュワラ寺院本殿の外壁は精緻な彫刻で装飾されている

禁欲を主旨とするジャイナ教だが、寺院外壁を飾る彫像の多くが胸も露わな踊り子たちのセクシーポーズである、と言うのが面白い。またヒンドゥ教のメジャーな神々も混交して刻まれている。

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古い時代に建造された寺院の彫刻は完成度が高く見事だ

現在は分からないが、2011年当時は多くの寺院で上階や更にその屋上にまで登る事が出来た。寺院建築の構成や全体像が下から見上げているよりも把握し易いので、もし今でも可能ならば階段を上がってみよう。

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アディシュワラ寺院は西インドに特徴的な細かく刻んだシンメトリカルな階段状の三角屋根を持つ

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白い尖塔が主神室で、前室マンダパがチャトルムカのドーム屋根になっている

ジャイナ教の祖師(ティールタンカラ)と言うのは、ある種の『至高神』扱いで、ヒンドゥ教で言うブラフマン、ヴィシュヌ、シヴァ、の様な超越者(神)として信仰を集めている。

特にここシャトルンジャヤではそれが目立つのだが、祖師の御本尊を祀る神殿祠堂は、四方に開口部を持つチャトルムカ(チョウムカ)と呼ばれる独特なスタイルになっている事が多く、その中心に奉安された尊像もまたそれぞれの開口部に向かって4体が背中合わせになっている。

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典型的なチャトルムカ祠堂

この背中合わせに四方を向いたチャトルムカ尊像と言うものはシヴァ・リンガムやネパールの仏塔などにも見られるもので、もちろんその背後には共通する思想基盤が存在する。

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四方に顔を持つチャトルムカ・リンガ。ウッジャイン、マディア・プラデシュ州

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リンガと同様ヨーニに乗ったネパールのチャトルムカ仏陀ストゥーパ 

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アディシュワラ寺院を見晴るかすチャトルムカ祠堂。5人×4方で20体の祖師像が祀られている

ジャイナ教はゴータマ・ブッダと同時代のマハヴィーラによって開創されたのだが、彼を最後の24代とし初代のリシャバナータ(アディナータ)にまで遡る全ての祖師をティールタンカラとして信仰の対象としている。

その尊像がブッダ像と酷似している事から、初めて西欧人がジャイナ教を知った時には仏教のいち分派ではないかと誤解されたらしい。

しかし今でもグジャラートなどでは輪廻から解脱した諸ティールタンカラ達を『ブッダ』と尊称しており、2500年前の古代インドにおける思想状況、そしてその中でのゴータマ・ブッダとマハヴィーラの関係性など、興味が尽きない。

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白い布をまとっているのはシュヴェタンバラ(白衣)派の出家者だろうか

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在家者の巡礼は基本的に家族連れが多く、女性の比率がかなり高い印象だ

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巡礼するラージャだろうか、サンチーの仏跡彫刻にも似たモチーフ

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ヒンドゥの聖地と違って、人は多いのにどこか静謐感が漂っている

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ダンダと呼ばれる聖杖に模した杖を突く人も多い

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多少くすんではいるが、全体に白大理石の美しさが際立つ

寺院のほとんどは白大理石で建てられており、外壁や屋根などはくすみも目立つが、神殿内部では見事に清浄なホワイト・ヘブンが表現されている。

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安物のカメラでとらえ切れていないが、白大理石の清浄な涅槃界イメージ。中央は須弥(メール)山だ

ジャイナ教では白蓮華を意味する『プンダリーカ』が涅槃界(天界)のイメージと重ね合わされており、ラナクプルやアブー山などにも見られる白大理石の精緻なドーム彫刻世界はその『浄土観』の具象化に他ならない。

ここシャトルンジャヤはプンダリーカを法名とする聖者ともゆかりが深い様で、この聖プンダリーカ思想は仏教における妙法蓮華経(サッダルマ・プンダリーカ・スートラ)ともパラレルな関係にある。

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中央以外は薄っすらと彩色跡が残る天井ドーム彫刻。彫像は祖師方だろうか

しかしラジャスタンのラナクプルやアブー山と違って、シャトルンジャヤは全体としては色鮮やかに彩色された天井ドームも目立っていた。

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チャトルムカ祖師像の上に掲げられたドームは、同時にチャトラ(傘蓋)でもある

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パステルカラーの彩色は宗派を問わずグジャラートに普遍的に見られる

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雰囲気のある祠堂内部。中央はメール山と四面尊像。装飾はないが天井はドームになっている

これらドーム建築思想は、ひょっとするとサンチーなどに見られる古代インドの仏教ストゥーパ建築に起源を遡れるのかも知れない。

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寺院コンプレックスの屋上にはポコポコとしたドーム屋根が連なっている

一般に汎インド教的に見られるこの様なドーム構造は、イスラム・モスクやタージマハルに代表される墓廟のドーム屋根の影響だと考えられがちだが、イスラムの迫害を逃れて山奥やその頂に逃れた純インド産のジャイナ教寺院が、イスラムを象徴する様なドーム構造を中心に頂くと考えるのは筋が通らない気がする。

古代インドにおいて最初に宗教美術・建築文化を花開かせたのは紀元前の仏教であり、そこにおける仏塔ストゥーパのドーム・イメージを直接的に継承したのが、ジャイナ教ドーム建築ではないかと個人的には推測している。

もちろん玉ねぎ型のドーム屋根やそれを支えるアーチ構造はイスラム建築の影響を強く受けているのだが、下に見る様なプレーンで白いドームはストゥーパの直接的な後継者だと思えてならない。

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手前のドームは、いわゆる鉢伏型のストゥーパに重なる。右に見える玉ねぎドームとは明らかに異質だ

ジャイナ教寺院建築に特徴的なこれらドーム屋根(天井)はブッダストゥーパに起源し、天界を暗喩する天の半球であると同時に、聖者に掲げられるチャトラ(傘蓋)でもあるのではないだろうか。

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尖塔とドームが連なる、天空の城塞寺院都市。どちらも本来は白く塗られていたのだろうか 

 

 

南北の峰の間に横たわる鞍部のほとんどを占めるモティシャー寺院群は1836年にムンバイの大商人によって建てられた新しいもので、南嶺北嶺の寺院群と違って余り歴史的な風情はなく、私が訪ねた時はほとんど人気もなかったのだが、その分、妙に異世界的な雰囲気に包まれていてまた違った味わいがあった。

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人影も殆どない白昼夢の様なモティシャー寺院群エリア

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一番気に入った構図。実はネットで同様の写真を見て是非実見したかったポイントだ

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一段低いモティシャー寺院群から北嶺寺院を見上げる

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同じく南嶺のアディシュワラ寺院群を見上げる

どうやらこの一角はただ一人の富商の力で建てられたようなのだが、一体いくらかかったのだろうか。チットールガル城砦の『キルティ・スタンバ(誉の塔)』などもそうなのだが、ジャイナ教徒の富豪と言うものは我々の想像を遥かに超えた財力(そして信仰心)の持ち主だったようだ。

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これは左右からの階段の手すり?パネル。美しい蓮華輪が刻まれている

このエリアはゴミゴミと建て込んでいないので、寺院建築の様々なシンメトリカルな構造がとても見易くなっている。

石材全体が妙にベージュがかった色合いで、周囲からは完全に浮いてしまっているのだが、人も少ないしインド建築好きなら隅々まで探索して楽しめるだろう。

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北嶺側からアディシュワラ寺院群全体を俯瞰する。遠景には南嶺の寺院尖塔が居並ぶ

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南嶺側から鞍部寺院群と北嶺の寺院群中心を遠望する。高い石壁と望楼はどう見ても城砦だ

麓のパリタナ市街自体も聖地であり、無数のジャイナ教寺院が存在する。中でも印象的だったものを最後に掲載しよう。

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不思議な円輪多層ピラミッド構造のサモウシャラン寺院

上の写真は聖地に向かう登山道のとば口直下に建てられたサモウシャラン(Samosaran)寺院で、ジャイナ教の宗教的世界像サモウシャラナ図を立体化したものだ。

そのドーム屋根の緑色は菩提樹樹冠をデザイン化したもので、同時に聖者に掲げられるチャトラ(傘蓋)を兼ねている。

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ジャイナ教のシンボリックな世界像、サモウシャラナ図、アジメール、ラジャスタン

サモウシャラナ図は世界の中心上空に浮かぶ蓮華座上菩提樹下に解脱した覚者である祖師が坐し(瞑想し)、その教えを世界の四方から集まる弟子たちが聴くと言う情景をデザイン化しており、仏伝と同じように聴聞弟子の中には動物達も含まれているのが興味深い。

またこのサモウシャラン寺院(図)だが、どちらも四方に門を持つチャトルムカになっていると言う点でもその頂にチャトラ(傘蓋)を掲げる点でも、明らかにサンチーの仏教ストゥーパと構造が重なるもので、仏教的心象世界とジャイナ教的心象世界が極めて近接している事を伺わせる。

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四方に配されたトラナ・ゲートと頂にチャトラを掲げたブッダストゥーパ、サンチー

その他にもパリタナ市内には多くのジャイナ教寺院があり、その少なくない数が正面ファサードに法輪を掲げている。そしてその法輪はゴータマ・ブッダ初転法輪を表すかのように左右に鹿を配置しているのだ。

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正面ファサード上部に鹿を左右に配した法輪を掲げるジャイナ教寺院

グジャラートには仏教と言うイメージは希薄だが、実は古代アショカ王の時代以降大いに仏教が普及した時期があり、アショカ碑文をはじめ紀元前後からの仏教窟院も複数発見されている。

ブッダ本人ではないが古くから仏教との所縁は深い訳で、この辺り、インド仏教の真実をより深く紐解く為には、西インドに栄えるジャイナ教について、もっと突っ込んだ研究がなされるべきではないかと思う。

最後は難しい話になってしまった。今回の投稿でシャトルンジャヤやジャイナ教の魅力が少しでも伝わったのなら嬉しいし、興味を持った方は是非一度現地を訪ねて、どっぷりとその世界観に浸って欲しいと思う。

参照資料:Shatrunjaya - Wikipedia Palitana temples - Wikipedia

 

 

 

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