シーク教の聖戦士ニハングとガトカ武術
インドの首都デリーから北西に位置しパキスタンと国境を接するパンジャブ州は、シーク教徒の故郷だ。
黄金寺院のあるアムリトサルと並ぶ聖地、アナンドプル・サヒーブ(Anandpur Sahib - Wikipedia)には、いまだ中世そのままの生活を維持する聖なる侍・ニハング(Nihang - Wikipedia)の修行道場アシュラムが存在する。
シーク教徒は特例として現代でも帯刀を許されているのだが、一般人はほとんどそれをしない。けれどこのニハングという聖戦士たちは今でも独自のコスチュームに身を包み、帯刀のまま町を闊歩している。Nihang - Google 画像検索
今回訪問したGurudwara Shaheedi Baaghの場合、彼らは馬牧場を中心としたアシュラムを拠点に昔ながらの質素な暮らしを営んでいた。篤信者たちの寄付によって基本的な生計をまかないつつ、インド各地で周期的に馬術を含む武術デモンストレーションの公演を行って、その公演料も得ているようだ。
アシュラムの施設は広大で、新しい建物の建設も進められていた。ニハングの存在を支える宗教的・社会的なバックグラウンドは、かなり広範に確立しているように見えた。
偶然来ていた刀の行商で品定めをする子供。もちろん刃の付いた真剣だ。
私を迎えてくれたメンバーは若い世代が多く、青いサリーを着た若い女性や年少の子供も目についた。私の関心の焦点が武術にあったために聞き漏らしたが、基本的に在家主義をとるシーク教徒なので、彼らも結婚して家族共同体のような形でコミューンを築いているのだろう。
上のビデオの前半で紹介している『チャッカル』は車輪を意味するリングの回転技で、聖なる車輪『スダルシャン・チャクラ』をシンボライズしたものだ。
インド亜大陸の北西端に位置するパンジャブ州にはチャッカルがあり、最南端に位置するタミルナードゥには同じ技がチャクラ・チュトゥルーの名前で共有されている。
その根底にあるのが汎インド的な『聖なる車輪』の思想であることは言うまでもない。
シランバムで高度に発達している棒術の回転技はシークの間でもマラーティの名で継承されており、棒術の回転技をより具体的な車輪として表したものが、このチャッカルやチャクラ・チュトゥルーなのだろう。
ニハングの伝統的な青い衣装とその装飾は、シヴァ神の青い体色とそのいで立ちを模倣したものだと言う。
彼らの演じるチャッカル(聖スダルシャン・チャクラ)がヴィシュヌ・クリシュナ神の破邪の武器である事を考えると、シーク教と言うものが基本的にその思想の多くをヒンドゥ教に負っている事が良く分かるだろう。
インド全体が国を挙げて経済発展に浮かれる中で、シーク教徒はその強固な保守性と共に伝統的な『インドらしさ』の保存に大いに一役買っている。
何故シークがそこまで保守的であり、同時に尚武の気風に富んでいるのかはその歴史に負うところが大きい。
ムガル帝国の時代からイギリス植民地支配に至るまで、シークはその民主と平等思想そして何よりもどのような強権にも屈しない篤き信仰と闘争心によって、常に弾圧の最前線に立たされ続けた。
しかし、そのような悲しい歴史がゆえにシーク達の持つプライドと侍スピリットが、俗化する現代ヒンドゥ社会の中でひときわ精彩を放っているのもまた事実なのだ。
アナンドプル・サヒーブはデリーの北西に位置するチャンディーガル、もしくはルディヤーナーから70Kmほど、ローカルバスで2時間くらいで着ける距離にある。
ある意味時代錯誤ではあるのかも知れないが、この最もインドらしい姿を残したシークの侍ニハングに会うために、当地を訪れるというのも旅の選択肢のひとつだと思う。
シーク教第一の聖地アムリトサル市内にも、このニハングの伝統を継ぐガトカ武術のアシュラムは点在している。その中心となる黄金寺院は地球の歩き方などメジャーなガイドブックに取り上げられているので、訪れる方も多いだろう。
もし黄金寺院を訪ねるならば、少しの時間を見つけてガトカ道場を見学に行ってみてはいかがだろうか。お決まりの観光コースでは味わえない、もうひとつのインドに出会えるかも知れない。